もし生きているなら、今日は母の103回目の誕生日。
もう少し頑張れば・・・こんな思いを抱くのもいたし方のないことなのでしょうか。
あんなに「もう勘弁して~」と思っていたのに不思議なものです。
「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」とは、まさにこう云うことなんでしょう。
「でもまあ、良かったのかもしれないね。母だってあんなになって生きていたって辛いだけだもの」
「そうだね、訳わからんようになってたもんね」
と、「今日叔母ちゃん誕生日だったよね」、電話くれた従姉妹との会話。
母の好物はお寿司と蟹。誕生日にはいつも「え~い
」と蟹を奮発してやったのです。
去年は離れて暮らす私の次男から蟹、送られてきました。
ここ1~2年は食べっぷりがぐんと落ちてきてしまいましたが、ひところは100才も近い年寄りのそれとは思えない
凄まじさがありました。
蟹を食べる時、だれでもそうなりますが、母ももちろん無言。
そしてほとんど腰は浮いていて、腰を掛けるのはひと心地ついてから。
帰りの遅い家族の分は自ら蟹の脚3~4本取り分け「これでいいね」、あとは心置きなく食べる、食べる!
これは101才。
そして今日。
蟹はないけど、大好きなチラシ寿司と、ビールも欠かせない。
チラシ寿司の材料を買いに行かなくちゃ、と思いつつあれこれしていると「あっ、早くしないとおかあちゃん帰って来ちゃう」と、つい思ってしまうのです。
「あぁ、帰ってこないのか」と現実に直面しては、安堵するような、淋しいような・・・
材料を煮ていても「も少し煮ないとおかあちゃん食べれないよ」と思って、「あ~、もう普通でいいのか」
もう3ヶ月が経ってしまったというのに、今だ残像は消えていません。
さすがに「そう簡単に消えてたまるか」ってとこなのか、しぶといとこあったもの
ただ、子どもたち用に使ってた「お婆ちゃん」と言う言葉はなくなり、その昔呼んでいた「おかあちゃん」が復活しています。口にだすことはないと思うのですが、頭の中ではそう呼んでいるんです。
これはどういうことなんでしょうか?
困った婆さん、面倒な婆さんが薄らいで来て、母親の思い出がフェードインしてきたのでしょうか?
よくわかりません。
ところで
先日のライブ。
「私のブログにこの写真載せていい?」と先日の写真をラインで本人に確認したら(彼女は私のブログ見ていない)
「いいけど、もっと可愛く写ったのないのか?」と返してきた。
「これが一番」と言ったら、上の写メ送ってきて「こっちにして」とのことなので、取りあえず。
頼まれて色んな施設や催しでも唄ってます。
お近くの方(埼玉県在住)ご要望ございましたら、どうぞご一報を