母の運命を左右する大事件とは・・・ちょっとオーバーでしたが・・・
昨日もお話したとおり、事あるごとに身内だろうと、他人だろうと、人の手を煩わせることを厭わない母なのです。
勿論、若いころからそうだったはずはありません。
若いころはなんでも自分でできてましたから。
年を重ねるってそういうことなんです。色々出来ないことが増えてくるのです。
確か2014年の秋、この頃はまだまだ元気。98才、もうすぐ99才になろうってころ。
リハパンなんてとんでもない。認知と言えどもトイレはばっちり。
自室は2階で、毎日何回でも階段上ったり下りたり。
私は階下のリビングにいて、母の下りてくる足音にうんざりしたものです。
そんなある日、私は仕事ででかけている。家にいるのは長男と母。
長男は自室で仕事。
母はその日デイサービスはお休み。
例によってお昼過ぎ、「洗濯物は取り込まなくて良い」と厳しく言ってあるにもかかわらず、母は取り込もうとした。
勿論ロックしてあるので開かない。
これはもう何回も経験済みであるにも関わらず、いっこうに覚えない。
長男はその物音を聞いてはいるが、「まだ出番じゃないな」と悠然と構えていたが、その日の母はいつまでもガチャガチャ
することなく外に出る。窓の外に工事中かなにか男性を見つけたのでしょう。
「窓がね、どうしても開かないんですよ。私ももう年ですから、力がないんですかねぇ」
なんて言いながら連れて来る。
長男部屋から飛び出して「すみません、僕いるから大丈夫です」と帰っていただく、と、ここまではいつ。もどおり
「あんたおったんか?ならよかった。洗濯物入れたいんだけど、窓が開かんのさ」。
長男の忌々しい思い想像に難くない。
その上、「開けて頂戴、開けて頂戴よ、洗濯物入れられんでしょう」と追いまわす。
入れんでいいと言っているのだ!迷惑だと言っているのだ!茶太郎何回脱走してると思ってやんでえ!
堪りかねた長男、「もう、うるさいなあ!!」と振り向きざまに母を突いた。
母は転倒。
左大腿骨骨折。
「高齢ではあるが手術しましょう」と翌日手術となった。
そして、「手術は成功ですが、何分お年がお年ですから・・・もちろんリハビリもやりますが、歩行までは・・・」
と言われた。
「でも歩けるんですよね、歩いても大丈夫なんですよね」と私。
「そりゃ、大丈夫なわけですが、高齢者はなかなかねぇ」
と消極的。
「ケアマネとも相談してこれからの生活を考えてください、なかなか施設もすぐには入れないだろうし・・・」
歩けなくなるのが前提の話だ。
私もケアマネとして働いている時だったけど、もちろん母のケアマネじゃない。
担当のケアマネさんと相談して介護ベットや車椅子、歩行器も借りることにした。
病院でリハビリはやってくれたけど、それ以外はず~と車椅子。
トイレも連れてってくれない
母も最初は「ここじゃできない」「ルミサ~ン、トイレつれてって~」と喚いてたけど、
慣れてしまったのか、この方が楽チンと思ったのか、何も言わなくなりました。
そんなわけで、一ヶ月ほどで退院したら、介護ベットでオムツの生活。歩行は車椅子。
でも私は強く思ってました。
「絶対歩ける!」
「歩かなきゃ駄目」
「歩かない年よりはうちに置いてやらない」
母のようにしっかり歩けてた者は筋肉だってしっかりしてる。
例え今使わない時間が長く、衰えていたにしてもきっとまた筋肉はついて来る。
時間をみて、トイレに誘いました。
立ち上がれない、立ち上がっても膝から折れてくる。
母にも立ち上がろうとする意欲がまるでない。
「もう勘弁して~、立てないんじゃから~」
私しゃ、容赦なし、「自分でトイレにもいけない人間は死んでおしまい!」
「こっちゃあ仕事があるんだ、あんたのおむつなんか替えてられないんだよ~!」
少しは胸に響いたのか、私の剣幕に恐れをなしたのか、母にも何か気合が入ったみたい。
こんなこと1週間も続けましたかね。
段々立てる様になり、歩けるようにもなり、なんとかトイレで用も足せるようになりました。
やっぱり歩けるんです。
高齢者だってまだまだ再生能力はあるんです。
医者ってものは「お年ですから・・・」って言いすぎ。
年だって自分で生きていく力を与えるのが医者の役目。
何が何でも長生きさせることじゃない、っと、私は思う。
兎も角、私もこれで、ベットの上でおむつを替えるなんて最悪なことせずに済みました。
何より長男の気持ちも軽くなったと思います。
少なからず責任感じていたようですから。
そのころの母であります。